ひな人形_女びな_昭和時代

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ひな壇飾り-岡本民家園にて

 ひな壇飾り-岡本民家園にて 私はひな人形の存在を知らずに育ちました。そんな馬鹿なとお思いでしょうね。東京に来てから上野の松屋デパートで見たのが初めてでした。今はネットで調べられるから何とか記事にしようと思えば出来るけど、この写真を撮るときに現場で係の人に聞いた説明を混ぜて書きましょう。

 ひな人形の元は平安時代の流し雛と言われているのは広く知られています。明治から少しずつ貧富の差が少なくなり、ひな人形は気安くとは言わないまでも現代は買える時代です。
 楽しい季節を壊すようですがここは現実的なお話で。それとこのひな壇は区内の人々から世田谷区に譲渡されたものです。譲渡された方々の良心を否定していません。誤解なきようお願い申し上げます。

 何時の時代でも当時の価格を現在で分かりやすくすると、7段飾りが50万円~高いひな壇は1000万位なのだそうです。掲載したひな人形を一目見て高そうだなと感じます。人形に着せている着物、それを縫う人、糸をつぐむ人、塗りし等々、形作るには相当な人々が係わっているだろう事は分かりますね。

 1文が20円位の時代でお給金が高い人で10万円だったそうだから普通の暮らしをしている家庭では簡単に手に入らなかったでしょう。ご先祖様が購入したひな壇飾りは美しさを保つ管理が大変だと思います。区に託して広く公開、大正解でした。私もこうして拝見させて頂けました。

 話しは変わって、大正時代と昭和時代のひな壇飾り、何か違うと思いませんか。男びなと女びなの位置が違うんです。これは説明の方がおっしゃるに、時代ではなくて京都(関西方面)と関東の違いだそうです。もっとザックリ言うと富士山を境に左右が違うとか。土地(地方)と時代と、武家の棟梁の出身地などで違うというからややこしいですね。これを読んで頂いている方、あなたのお住みになっている所では男びなと女びな、左右どちらに配置しますか。

昭和時代 男びなと女びな

ひな人形_男びな_昭和時代
ひな人形_男びな_昭和時代
ひな人形_女びな_昭和時代
ひな人形_女びな_昭和時代

昭和時代 ひな人形 1~6段

ひな人形_4~7段目_昭和時代
ひな人形_4~6段目_昭和時代
ひな人形_2~4段目_昭和時代
ひな人形_2~4段目_昭和時代
ひな人形_1~3段目_昭和時代
ひな人形_1~3段目_昭和時代
ひな人形_1~7段目_昭和時代
ひな人形_1~7段目_昭和時代

大正時代 男びなと女びな

ひな人形_男びな_大正時代
ひな人形_男びな_大正時代
ひな人形_女びな_大正時代
ひな人形_女びな_大正時代

大正時代 ひな人形 1~6段

ひな人形_5~7段目_大正時代
ひな人形_5~7段目_大正時代
ひな人形_1~3段目_大正時代
ひな人形_1~3段目_大正時代
ひな人形_1~7段目_大正時代
ひな人形_1~7段目_大正時代

年代不詳 男びなと女びな

ひな人形_男びな_年代不詳
ひな人形_男びな_年代不詳
ひな人形_女びな_年代不詳
ひな人形_女びな_年代不詳
ひな人形_1~7段目_年代不詳
ひな人形_1~7段目_年代不詳

全部見て頂いてありがとうございました。2017年2月22日撮影 Easy-Photo

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